医療関連の記事とたまにサッカーのことを保健師が書いていくブログ

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母を、看取らば 2

母を、看取らば


各方面から問い合わせをいただきました。
ありがとうございます。
今は
2人に1人は癌を患う時代になりました。
また、癌は完治寛解せずとも生活の質を維持し生きていく時代になりました。


記事の依頼をいただきましたので、商業誌を優先して書いていきます。
いつもありがとうございます。

母を、看取らば

末期がんに限りませんが余命が告知される病の場合、残された時間がわかるためなのか、いろいろなことが出てきます。

実務的なことも
家庭運営のことも
残して逝く、家族のことも
親族のことも
一気に噴出します。

患者さんを外して考えると、このとき一番大変なのはキーパーソンとされる方だと私は思っています。

病院側からも親族からも、もちろん患者さんからも
一極集中
であてにされます。


このキーパーソンの方が

の場合が多いのですが、この娘からさんの
胸のうち、辛いものが沢山沢山詰まっていました。

長男教の親は病気になると

やはり娘は気楽でいいわね
やはり娘を産んでよかったわ
私がガンなのに外で働くなんておかしいわ

と、言います。
流行ってますよね、母と娘の透明な蔓で縛られた腐った関係。
娘さんは奴隷のようです。



長男は

俺には病気のことはわからない
お前女だろ

と、言います。
流行ってますよね、長男はおっさんになっても
母にとってはお客さんなんです。


この娘さんのことをこれから書いていきます。
この娘さん、頑張りすぎて不眠症になっています。
カウンセリングをすすめました。

「母を、看取らば。」

むくみと靴

ガン患者さんの皆さんに
何に困っていますか?
と伺いました。

靴がない…

脚がむくみ、今まではいていた靴は入らない。
かといって靴を買いに行く、身体的な余裕はない。
スーパーに行っても売ってない。
仕方ないから厚手の靴下をはいて、サンダルを履いてしのいでいる。

という方が結構いらっしゃいます。

というわけで、私も靴を探しました。
結論から言えば、ネットで購入することができます。
また介護用品に近い靴は、脚を入れる口がマジックテープになっていて、脚のむくみが変わっても調整が出来ました。
しかしデザインや材質の種類は少ないので
選ぶという選択肢は限りがありました。

またガンの治療のため、リンパ節を切除した場合、外出先で脚を休めたい、投げ出したい、と思われる方がいらっしゃいました。

ガン患者さんが外出しやすくするために
出来ることは沢山あります。

長くはいても疲れにくい、むくみに対応した靴。
椅子がなくても腰掛けにも変型するような杖。
などなど…

靴についてはまた改めて
書きます。

英語教育と脳の気になること

私の旦那は脳外科の臨床医なんだけど、子供たちの幼児からの英語教育について だけ は口を強く出してきた。
子供の英会話教室もいかせなかった。

そしてなぜ頑なに幼児期における母国語以外の教育をしなかったのか、改めて思い返してみた。

旦那は臨床医だから様々な患者さんをみる。
脳腫瘍、脳内出血、脳動脈瘤…
都市部ではなく地方の地域医療を支えてきたので、来る患者さんを
これは俺の専門じゃないから
とか言って他に回すことはしないし、現実的に不可能だそうだ。
だから自分で一人で金タマを縮み上げながら踏ん張ってきた。

その旦那によると、脳の仕組みや機能はまだまだ分からないことがたくさんある、という。
そのなかで気になっているひとつが言語野の機能だ。

詳細は省くが
言語野に事故や出血により何らかの障害ができると、母国語が全く分からなくなってしまうというのだ。
外国人の患者さんの場合、その患者さんの母国語を話す人を探して対応してもらったが、全くやり取りが成立しなかった。旦那は駄目か…と半ば諦めつつ英語で話してみた。なんと英語でのやり取りは成立したという。
また、同僚の脳外科の先生が脳内出血で、回復期に日本語でのやり取りが成立しなかった。旦那は、この先生には留学経験があることを知っていたので、英語で話してみると、やはりやり取りが成立した。
共通しているのは、この二人はバイリンガルではなく、第二外国語をある程度大きくなってから、つまり10代から学んだということだった。

旦那は他の臨床医からも同様の話を聞き、もしバイリンガルがこのような状況になった場合、言語はどうなるのかと疑問に思っているという。


長くなったが、旦那の心配はここにあった。

言語野の機能はまだまだ不明なことが多い。
うちは多言語を公用語として扱う必要のない国に住んでいる。
母国語以外の言語は一定の年齢以上から学ばせてほしいという理由は、この臨床経験からくるものだった。

私は、多言語を扱う国の方々と単一言語で暮らす方々と言語野の機能の違いがあるのかどうか、知りたいと思った。


長女も次女も英語教育は幼児期からしなかったし、今も同様だ。進学塾と学校のみ。
が、私の下手くそなイタリア語とドイツ語と英語の歌をこれでもかというくらい、きかされて育った。

そのせいかどうかはわからないけど、リスニングすごいですね〜、と塾の先生からは褒められている。塾の先生から面談の時に、何をやらせてきたの?ときかれたけど、歌うのをきかせてきた、とは恥ずかしすぎて言えない。それくらいしか外国語と絡めさせて来なかった。たまに友人のパートナーなどネイティブの方に会うくらいだが、パートナーは日本語ベラベラだし困らない。
長女の英語の成績はあまりパッとしないけど、本人としてはそれなりに楽しんでいるらしいので、良しとす。

次女はsentenceを覚えるのが趣味になっている。
次女は不思議な人で辞書を読むのが趣味だ。
おしっこは英語でこういうの、だとか
駅はどこですか、とか突然英会話してくる。なぜ知っているのかわからなかったが突然英語で話しかけてくる。英語の辞書を読んで気に入ったsentenceを覚えていただけだった。
空港や駅の英語のアナウンスを覚えてはモノマネしている。

女親としてはこのような感じを
残念
と思うこともあるけれど、わたしだけが親な訳ではないし、旦那の経験からくる何らかの根拠は気になるので、これで良かったと思う。

しかしながら二人の子供は10代になったので、これからは少しずつ英語やイタリア語、ドイツ語を勉強して欲しいと思う。

Aさんが癌と共に 働くことを考える

Aさんは抗がん剤治療を開始してから、体調の大きな変化に振り回されているような違和感を抱き戸惑い、時には投げ出してしまいたいと感じていました。しかしながら、副作用の現れ方が段々と分かるようになってきたと思うようになりました。
抗がん剤治療後の三日間は微熱が続いて強い倦怠感があり、また胃腸の調子も崩れました。手足の末端の痺れ、むくみもこの期間から強くなります。
そしてゆっくりとその副作用が落ち着いていき、身体も軽くなる時期があるとわかってきました。
この身体が軽くなる時期がいつ頃になるかは、治療後により異なりました。疲れがたまっていたり、体力を消耗していたり、食事があまり取れないなど、生活により変わりました。しかしながら抗がん剤治療後でも身体が軽くなる時期があることがわかってきたので、Aさんはこの期間に時間と体力を使う仕事に入れることが出来るように上司に相談しました。また同時に治療後の数日間は体調不良が継続することも伝え、治療による体調の変化にサイクルがあることを理解してもらえました。
このとき、Aさんは体調日記をつけており、この日記を上司に見せながら説明をしました。
体調日記には、体温、胃腸の調子、吐き気嘔吐の有無あるいは程度、手足の痺れ、むくみの程度、痛み、副作用を抑えるために処方された薬の内服等、睡眠時間、動悸や息切れの有無あるいは回数などを表にして、一週間ごとにまとめて見られるように記入していました。これは病院からもらった資料をもとに、Aさんご自身が書きやすいように工夫したものでした。
視覚化するのことで、第三者からみても体調の変化が分かりやすくなりました。
Aさんは今の事務の仕事を出来るだけ長く継続したかったので、親しい同僚にも相談をしておきました。同僚の負担にならぬように、予め体調のことを伝えておき調子の良い時期には残業など出来ることを伝えておきました。
こうすることで、Aさんは抗がん剤治療とその副作用に漠然と振り回されているような、イライラした気持ちが少し軽くなっていくような気がしました。
抗がん剤治療と副作用と向き合うことにはとても勇気が必要でした。しかしながら、自分の生活の質、自分の望む生活に一歩一歩近づいている自信を得られるように感じていました。
主治医にも定期的に連絡が入る保健師にも、自分の体調や今困っていることなど具体的に説明できるようになりました。

家族に病人がいると

必ずあてにされる。
あてにされるのはいい。


でも、対等な立場にいる人間たちが

私達には病気のこと分からないから

と言って逃げ出すことは許せない。


そしてそういう奴は
どうでも良いことにこだわり、文句を言う。

本物の馬鹿だ。