神様の天秤
命を秤にかけることは神様がすることなのかもしれません。
でも人が人の命の優先を決める場面は結構あります。
天秤のお皿に何がのっているか。
そして自分のお皿には何がのっているか考えることがあります。
例えば、Dさんは妊娠中に妊娠中毒症になりました。
腎臓の負担を考えるといろいろ難しいことが出てきました。
そして自分のお皿には何がのっているか気付きました。
いろいろなものがのっていました。
家族、友人、やりがいのある仕事、たくさんの楽しい思い出、たくさんの楽しい経験
こんなにたくさんお皿にのっていました。
でもこの子はまだ何もお皿にのっていません。
だったらこの子のお皿にたくさんの人生をのせてほしい。
Dさんはお子さんの命を優先してほしいと妊娠を継続させました。
自分のお皿に何がのっているか、これから何をのせたいのか。自分の人生が終わる時にお皿にのっているものをみてどう思うものなのでしょうか。
人生の辛いことはフクアリでなんとかなっている
フクアリでサッカーをみるようになって10年近くになる。チームとして辛い期間なのだろうと素人でもわかる。
でも私個人的に勝手なことを言うと、いろいろなことをフクアリのおかげで乗り越えられてきたから、フクアリに行ってサッカーみることは大切なことになっている。
スタジアムには本当にいろいろな方々がいる。
スタジアムにはいろいろな人がいて、自分もここにいていいんだ、と思える。
家族のこと、仕事のこと、いろいろな柵で辛くなったり絶望したり、夜眠れなくなったりご飯を食べることがしんどくなったり甘いものばかり食べてしまっても、フクアリでサッカーをみると、ああもういいや、と思う。
それは試合に勝っても負けても関係ない。
勝てば、ああありがとう、今週も生きていける、と思う。
負ければ、ああお疲れ様、私も頑張るから次節も頑張れ、と思う。
サッカーならばどのスタジアムでもよいのかというとそうではなくて、フクアリが一番いい。
理由はいろいろあるのだろうけどフクアリが一番だ。
特に雨の日のフクアリは最高だ。
最期かもしれない、お花見
今週のお題「お花見」
進行する癌をかかえているCさん。
余命半年と言われましたが、半年は過ぎて桜を見ました。
生きていることがとても嬉しい。
Cさんは新しい靴を履いて花見に行ったことを話してくれました。
『もう先がないのは分かっているのに
もう来年の桜もみたいと思ってしまう、
私は贅沢な人間でしょうか?』
私はこたえにならない生返事をしました。
じわじわと転移していく癌。
少しずつ現れていく症状。
むくみが治らないCさんの顔をみていました。
『あなたは正直ですね。
はっきり教えてくれるから、そこがいいのです。』
桜、もう少し散らないでいてください。
『Aさんの気持ち』乳がんとともに生きる
以前から書いてきましたが、Aさんのことを書きます。
Aさんは乳癌を切除する手術をして、その後転移予防のために抗がん剤治療をしました。
抗がん剤治療もとりあえず終了となり、少しずつ自分の生活を取り戻しています。
そんな生活の中でAさんは泣きたくなりました。
突然泣きたくなるのです。
癌だと診断されてから、いや健診で疑いがあると言われからずっと、抑えて丸めて仕舞い込んできた想いがブワッと溢れてきたのです。
誰のために辛い治療をしているのか、Aさんは分からなくなるときがありました。
自分だけのためじゃない、家族のため、まだ必要だから、と思うように気を張っていました。
でも本当は何度も投げ出して逃げ出してしまおう、このまま放っておいて欲しい、身体中をいじられるのはうんざりだ、と思うこともありました。
Aさんはこの気持ちを言葉にしてしまったら駄目だと思っていたそうです。
何のために?誰のために?
いっそ殺して。
絞り出すようにAさんはやっと本当の気持ちを言葉にするように、言葉にできるようになりました。
癌患者さんに話を聞いた話
癌患者さんに話を聞いて欲しいと言われたので、時間をつくり話をうかがいにいきます。
私は心理士ではないのでカウンセリングは出来ません。
ただ傾聴するのですが、いろいろ気になることが出てきます。
例えば脚のむくみ。
患者さんご本人にとっては
こんなに脚がむくむなんて生まれて初めての経験
です。
でもだからといって、その方に早急になんらかのケアや処置が必要かというと、そうではない。その、程度。
その辺りにいつもモヤモヤするといいます。
そのモヤモヤは
主治医が具体的な処置をしないことにあるのか
加圧ソックスを履いてみてはと主治医に言われたけど気に入らなくて履いてないけど、脚のむくみが治らないことにあるのか
むくむ脚が痛いからなのか
靴が合わないからなのか
などなど…
多分全てに当てはまるのだと思います。
患者さんの感じ方と周囲の人々の感じ方にはギャップがあり、そのギャップは経験者にしかわからない。
経験する前は癌治療中の友人から話を聞いていた内容も、わかっているようでわかっていなかったと、今は分かる。
そこで気持ちが綯交ぜになってしまって、吐き出すところが家庭にも医療機関にもない、と感じるそうです。
がんセンターなど規模の大きな病院ではメンタルケアも行なっています。専門のナースが外来を開いています。リエゾンナースです。
しかしながらシステムはあっても、利用するのを躊躇う人もいます。
Bさんはその一人です。
私のことを、心理士でもないけれど看護師の資格はあってもベースは保健師で、あれこれ言わないし否定も肯定もしないし何でも話して良い都合のいい立場にいる、と捉えているのがBさんです。
Bさんは未だに自分がなぜ癌のステージⅣなのか、納得がいかないといいます。
既に治療は始まっていてそして癌そのものは小さくなってきています。
抗がん剤の副作用により日常生活、活動は以前と変わりました。
仕事は大幅に減らし、家事もパートナーに負担してもらっています。
治療そのものに納得いかないわけではないので、抗がん剤治療は継続しています。
それでもやっぱり
癌のある場所
出来なくなってしまったいろいろなこと
他にもいろいろ
納得いかないことばかりなのです。
納得しようがしまいが進行には関係ないので、残念ながら癌は広がっていきます。
この
どうにもならない感情
が、さらにBさんを苦しめます。
私はこれはすっきり解決することは無理なのだと考えています。
脚のむくみや日常生活の不便さは小さな具体策をコツコツと積み上げて、改善されてきてはいます。
それでもやっぱり
納得いかないことばかりなのです。
私はBさんよりもパートナーの方が気になりました。
毎日同じ
納得いかない
という不満と怒り、恐怖の綯交ぜの感情をぶつけられていたからです。
パートナーの方が疲れきってしまう前に少し介入しました。
Bさんはきっと納得はしないままこれからも生きていくのです。
納得いかないことがあるのは仕方がない。
しかしそのことからくるネガティブな感情に支配されてしまわないように、吐き出す時間と場所が必要なのです。